相対主義の脱出!
右向け左!これからの世界を生き抜くヒントです!
新年度を向かえるって僕個人にはあんまり関係がないんだけど、
多くの人達が新たな気持ちでスタートするところに便乗して宣言!
僕は相対主義を脱出します(`・ω・´)ゞ!!
っていっても何かよくわからないと思うので、
お時間ある方はお付き合い下さいませ。
人と話していて、よく
「人それぞれだよね」
とか
「皆考え方が違って皆正しい」
とかあるけど、
その先まで考えてみたことってありますか?
もしくは
「俺(私)はこうだと思うんだけど、、でも人それぞれだし。(嫌
って口を噤んだことはありますか?
この現象についての僕の意見を
人間の意識の進化って観点からちょっと話してみたいと思います。
人間の意識には10段階のレベルがあると言われてます。
生まれたばかりは自分と世界の区別もつかず、
生後数ヶ月で物質的に存在していると気付き(LV1)
1、2才で感情が別々であることに気付く(LV2)
2、4歳で言葉を覚えて心が生まれ(LV3)
6、7歳で役割や他人の立場に立つことを覚える(LV4)
10~15歳くらいで自分の思考について考えられるようになる(
LV6では自分の心と体に気付くんだけど・・・
今日話すのはLV5の話。
たぶん殆どの人はLV4かLV5にいると思います。
LV5になれば人の多様性とか、他文化を受け入れられるようにな
重きを置くのは世界。世界中心的な人になります。
そういう姿勢は他の自分中心的な人(LV3)や、
自分達中心的な人(LV4)に比べて、
視野、視座、視点が優れていて、深さもあって、
”非常にエリート的”で尊敬されるべきなんだけども、
当の本人は、全ての姿勢が平等、という立場にいるから、
自分はエリートではないよ、と周りに対して謙遜してしまう。
あらゆる姿勢は平等、どんな判定も許されない。
こういう人は自分の気高い奥深さを自覚してるから、
あなたの考えも正しいし、私の考えも正しい。
ってことを同時にあらゆる人に押し付ける。
意見が異なる人々に大して、実は全く不寛容になってしまう。
そして自然に自分の考えを正当化する方向に動いちゃうんですな。
でも全ての姿勢が平等で、自己中も平等、ナチスも平等っていった
なんとなく違和感あるじゃないですか?
どこぞの社会主義国とか、アマゾンの奥地の民族とかの思想よりは
僕らのほうが周りのこと見えてるな、って感じますよね?
答えはもちろん、あらゆる姿勢は平等ではない!です。
自己中心より、自分達中心より、世界中心の方が優れている。
なぜなら意識の深さがあるから。視野視座視点が広いから。
深さの次元、または正しさの次元ってのが違うってことなんです。
だから、深さを自覚している人が行動を起こさないと、
あらゆる全慣習的、自分達中心の浅薄さが助長され広がってしまう
エゴの氾濫
自民族の氾濫
苦情処理の政治
自己愛の政治
…世にはびこるいろんな問題は浅薄さにあるんです。
とはいえ、このレベルって一段上げるのがとんでもなく難しいんだ
自分の場合も、他人の場合も。
上位のレベルって経験がないから腑に落としていくしかできないし
だから決意!
僕はこの平等相対主義を脱します!
良いものは良い、悪いものは悪い。
僕の意見としてそれをはっきりと、伝えていきたい。
意見の食い違いに、広い視野視座視点で戦い鍛えていく!
なぁなぁで生きるのを変えていく!そんな新年度にします!